Re:Logergist(2021) エッセイ「「役に立つかどうか」で議論することをやめよう」

2023-09-27

「Re:Logergist」とは

グループでの討論を経て科学(学術)エッセイを書く企画です。日常を描写する科学エッセイを書き続けた物理学者の集団、「ロゲルギスト」の再現・再解釈を目指します。

科学(学術)エッセイ執筆を学ぶ授業として、Sセメスター『科学技術表現論Ⅱ』(担当教員:内田麻理香 特任准教授)を開講しています。

Re:Logergist(2021) エッセイ「「役に立つかどうか」で議論することをやめよう」

放談「チャーハンについて」を踏まえて、RYさんがエッセイを執筆しました。

執筆者:RY(薬学系研究科 修士2年)

炒飯を作る際には、鍋を振ってご飯を混ぜる。とある動画サイトにアップロードされている動画によれば、鍋の中にあるご飯をきれいに混ぜることのできる鍋の振り方があるらしい。その振り方が2つの振り子の数式として表現されていた。ただ、この動画では、鍋の大きさは一通りしか試されていなかった。さらに、動画が示していたのは、コンピューターによるシミュレーションでしかなく、実際に調理してどれほどおいしくなるかということは試されていなかった。よって、提示された数式に基づいて作られた炒飯がおいしいかどうかはわからず、この動画がおいしい炒飯を作るのに役に立つとは到底思えない。

そもそも、この数式に基づいて作られた炒飯のおいしさを測ることに意味はあるのか。相当にグルメな人でない限り、炒飯の味の微妙な違いを認識するのは困難ではないか。ゆえに、おいしい炒飯を作るための鍋の振り方の数式は、グルメではない人にとっては役に立たないものである、と云えるかもしれない。

役に立つかどうか、から思い出されるのは、「大学や研究機関で行なわれている研究は役に立つか」という問題である。ここではこの問題について深く議論するつもりはないが、研究分野による差こそあれ、研究は“必ず役に立つものである”とは云えないと思う。でも、そもそも研究を含めて、人が取り組む営みのすべてが役に立つ必要があるのだろうか。

上述の炒飯の動画は、グルメではない人にとっては役に立たない。でも、動画の内容を面白いと思って視聴する人が一定数いる。この動画の再生回数が60万回を超えていることは、その証左の一つだろう。我々が取り組む営みを、「役に立つかどうか」という観点で議論することをやめようではないか。

私自身は細胞生物学の研究者の端くれだ。私の研究は私にとっては重要だが、私以外の多くの人にとってみれば、その炒飯の動画のように役に立たないのかもしれない。あなたの研究は役に立つのか、と尋ねられたとき、役に立つという回答をどうしてもしたい私は決まって次のように答えてきた。「細胞の中で起きている現象のメカニズムを新たに解明することにより、そのメカニズムに対して効く薬を創れるようになるかもしれない。だから、私の研究は役に立ちます。」と。ただ、今回の炒飯の動画の視聴を経て、今後はこの質問に対して、以下のように答えることに変えようと思う。「そうですね……では逆に伺いますが、あなたが普段取り組んでいる営みは、すべて、役に立つものなのでしょうか。役に立たない営みこそが、私たちの人生を豊かにすることもあります。チャーハンを作るときの体の動きを数式にした人がいたように。我々が取り組む営みを、『役に立つかどうか』で議論することはやめませんか。」と。