当プログラムの必修授業の1つ、科学コミュニケーション基礎論の授業用に整備した資料をもとに、10月に東大出版会より教科書「科学コミュニケーション論」を出版した。この本の企画プロセスと内容を紹介したいと思う。
2005年度の終わりに当プログラムのポスドク(PD)およびリサーチアシスタント(RA)の方々と、『科学技術コミュニケーション基本論文集』を作成した。さまざまな雑誌上、書籍上に展開される科学コミュニケーション関連の論考を集めたもので、51編の論文のコピーからなり、厚さは4センチ近くある。この論文集を編むプロセスで、われわれは、科学コミュニケーションにかかわる論説が、白書、政府文書のほか、理科教育にかかわるもの、理系の専門家のアウトリーチ活動に関するもの、科学ジャーナリズムに関するもの、リテラシー論に関するもの、科学技術社会論に関するもの、社会学のコミュニケーション論、メディア論にかかわるもの、などに分散しており、掲載されている場所も多岐にわたっていることに気付いた。上記のプログラムでこれらの文献を系統的に学習するためには、これら多岐にわたって分散している論考を一望のもとにレビューできる教科書がどうしても必要だと考えるようになった。
そこで2006年度は、当プログラムのPD,RAの方々と専門誌『科学の公共理解(Public Understanding of Science)』の1992年創刊時から2006年まで300編あまりの論文を抄読する勉強会を設け、とくに欧州で活発な科学コミュニケーションの理論的モデルと実践の評価についての論文群にあたった。この抄読会をもとに、我々は、科学コミュニケーション論の興隆の分析、リテラシーの階層性、コミュニケーションモデルの多様性の分析を行い、日本における「科学コミュニケーションの興隆」を再チェックし、国際的な文脈から問い直しを行った。何故、日本でいま、科学コミュニケーションがさかんなのか、そして日本の科学コミュニケーション論はあるところに偏ってはいないか。もしそうだとするとそれは何故なのか。日本の科学コミュニケーションの特殊性は何によるのか、科学の移入の歴史か、市民参加や市民の意味の違いによるのだろうか。これらの勉強会をもとに、2007年度に章立てを考え、系統的に学習するための教科書としたのが本書である。
まず、第一部では、欧州、米国、日本における科学コミュニケーションの歴史を対比した。これらをとおして、日本の科学コミュニケーションを国際的文脈から問い直しをする作業のための材料を整え、対比を考えられるようにしている。続いて第二部では、理論的なモデルのレビューを行った。第三部では、とくに実践とその評価に焦点をあてた。最後に第四部では、科学コミュニケーションの隣接領域である科学教育、市民参加、科学者の社会的責任と、科学コミュニケーションとの関係を吟味した。現在、多くの方々からの反応を得つつある。
2008年12月12日号